のぞみブライトンオフィスのブログ

原点

12月26日、イオンの完全子会社となっているダイエーの株式が上場廃止になりました。なので、その前日の25日が最終売買日でした。1957年に創業して、71年に大証に上場して以来43年の上場の歴史に幕を閉じたことになります。

よく社会人のスタートは大学卒業したあとの新卒入社の会社を指しますが(私の場合はJ-フォン九州です)、社会人のスタートとしての原点は本当はダイエーだったかもしれません。

ちょっと長くなりますが、もう書くことが無いと思いますので、社会人の原点の話をしたいと思います。
ダイエーがなければ、流通経営学を専攻するために転学部することもなかったですし、J―フォンに就職することもなかったし、恐らく大学院に行くこともなかったと思いますし、こうやって、コンサルな仕事もしてなかったと思います。

恐らく最近の知り合いの方は、私が大学入学当初は化学を専攻してたことは知らないと思います。何故か当時、文系学部と理系学部両方を志してしまい、化学、総合政策、経営の3つの大学に受かってしまった私は国立大学の理学部化学科に入学するのです。

当時、アルバイトを探してた私は、インターネット(入学直後にパソコンを買い、インターネットにダイヤルアップで接続できる環境は整ってました)で、少ない求人情報をネットサーフィン(1990年台はこういう言い方してた筈)してたのですが、たまたまダイエーのHP(当時はd´clubと呼んでた)を見つけ、家電売場の求人情報を見つけて、問い合わせフォームからダイエー鹿児島店に求人があるか問い合わせをしたのだ。数日後電話がかかってきて、面接に出向くとすんなり通過し勤務を始めることになった。後から聞いたのだが、日本国内でダイエーのバイト求人のインターネット応募第1号だったそうだ。

担当したのはマルチメディア売場、パソコン、ワープロ、電話機、FAX、電子手帳などのマルチメディア機器が中心、1994年に携帯電話が買取制になったばかりでまだ非常に高価な製品で(私が後に入社することになる、日産と日本テレコムなどを親会社とするデジタルツーカやデジタルホンなどの参入で競争が激化し端末価格は相当さがったがまだまだ高価なであった)、学生はPHSを持つほうが1996年~7年くらいは多かった。時代はWindowsパソコンの急激な普及の年だった為、ありえないほど売った。当時のCPUはPentium120MHzでHDDはまだ1Gあるかないか、メモリは16MBだったような気がする。おじいちゃんが風呂敷に取説を包んで持って来て朝から晩まで付き合ったこともあった。
プレインストールで主流だったのは一太郎とロータス1-2-3だった。

普通の学生はレジ係や配達の製品の荷出しなどをやっていたが、採用の経緯もあり、売場担当になったので、予実管理や売場づくりをかなりやった。バイヤーとの発注のやりとりもしていたし、とにかく覚えることも多く忙しかったが、ホントに楽しかった。今考えたら破格の時給だったし….

売場で仕事をしてて、やっぱり経営学を専攻しかも流通業を研究領域にしたいと思ったのは、大学1年の12月。大学辞めなければ無理かなあと思っていたら、何と通ってた大学には転学部の制度があったのです。それを知った日から化学の授業には行かなくなりました。その後無事転学部の試験には合格し、大学2年の10月から法文学部経済学科の所属になりました。多分この時くらいかな、大学生なのにバイトでなくて契約社員になってしまった。だから名刺もこのように支給された訳です

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大学は順調に進級し、論文も作成した。テーマは当時総合スーパー業態の2強であった、イトーヨーカ堂とダイエーの経営手法を比較するというものです。利益重視のイトーヨーカ堂に対し、売上を重視したダイエー、全県出店にこだわったダイエー、ドミナント出店に徹したイトーヨーカ堂と、対比していると面白いものです。ダイエーの創業者である中内功とイトーヨーカド堂の創業者の懐刀である鈴木敏文の経営哲学を比較してみたりもしましたね。どっかにまだ論文あると思いますよ。ちゃんと転学部後留年することなく卒業できたのは、働きながらネタ探しを常にしていたからだと思います。

1999年ダイエーホークスが優勝した際に、店舗に中内功が店舗巡回に来た。以前は瞬間湯沸し器の様に怒鳴り散らす人ということでかなり恐れられていたが、その時はそういう面影はなかった。大名行列のような感じで巡回していかれたが、握手をしてもらった。手は温かくやはりオーラのある人だった。この時ダイエーは復活できるかなあとか少し思ったりしたが、結局は浮揚せず今に至る。

私自身、ほぼ当たり前の流れでダイエーを受けるつもりだったが、その年だけ募集がなかったというのも何かの運命だ。取り敢えず、イトーヨーカ堂やイオン、セブン-イレブン・ジャパンやローソンなどは採用をもらったが、結局はダイエーじゃないからということで辞退し、携帯電話会社を選ぶことにした。
ただ、あの4年の経験があったことで、携帯電話会社に入社した後もその経験が色々と役に立つこととなる。経営学をもっと勉強したいと社会人の途中で大学院に行ったのもダイエーでの影響とJ―フォンにいた時代にボーダフォンから来ていた役員のことを見てた影響が大きい。

今のイオンを見ていると、1990年台にダイエーが買収を繰り返していた時の頃を思い出す。地場のスーパーの買収をかなりやっているようだ。
ただし、本業の方は赤字で、GMS業態、SM業態共に大きな赤字になっていて、金融事業やショッピングセンターのディベロッパー事業でかろうじて黒字を確保している状況だ。
そもそもGMS業態のビジネスモデルが既に崩壊しているような気がする。新しいビジネスモデルを構築できるかそれが鍵だと思う。

今日はダイエー時代の思い出を懐かしむとしよう….

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